夢と涙と神山くんと、

ただのおたくのひとりごとです。

私がジャニーズWESTを好きになるまで

 

遡ること2008年夏、初めて関西ジャニーズJr.のコンサートに行った。当時「関西ジャニーズJr.だったら神山智洋くんが1番好き!」という理由で、初めて神山くんのうちわを持って、初めてステージに立つ神山くんを見た。

その日から私は、見事、神山担になった。

 


それまではデビューしているジャニーズのグループをTVで観たりCDを買ったり、所謂茶の間と呼ばれるようなライトなファンだった。名前うちわを作ったり、全ステをしたり、ジャニーズショップで神山くんの写真を全部買ったり、売り切れにさせるためにグッズを複数個買ったり、地方に行ったり、SNSを通して関ジュファンの友達ができたり、何もかもが全部初めての経験で、神山くんがファンとしての全てを体験させてくれて、沢山夢を見させてくれた。


歌もダンスも演技もアクロバットもできて、「皆どうして神山くんじゃなくて他のメンバーを応援しているんだろう?」と本気で思うぐらい、神山くんは自慢の自担だった。神山くんは夢や目標を語るだけではなく、"有言実行する"人としても尊敬できるアイドルで、どんなに短い期間でも次の現場ではその前の現場を超える完成度の高いパフォーマンスを見せてくれ、満足させてくれた。いい意味で毎回期待を裏切ってくれる人で、本当に応援していることが誇らしかった。
神山くんを好きなのと同時に、所属していたグループ“7WEST”も大好きだった。私が神山くんを好きになったタイミングでちょうど結成されたこともあってか、特別に思い入れがあった。7人から6人になって最後には4人になったけれど、全部全部大好きだった。メンバーの関係性が大好きで、対談を読むために雑誌を毎月全部買っていた。年が近くて仲が良くて、MCでもくだらないことでみんなで笑って、いつでもキラッキラで眩しいアイドル要素いっぱいの曲を歌ってくれた。背伸びせず、そのままの等身大の彼らを見ている感覚だった。最初は少しぎこちなかったけれど、少しずつメンバー同士の距離が縮まっていくところを見ていると、応援している側もまるで青春を体感しているみたいだった。今でも1番楽しかったコンサートはなにかと聞かれると、2010年のユニット別コンサートと答える。映像として残っていないのできっと思い出補正もあると思うけれど、数少ない持ち歌を最大限派手に演出して、先輩の曲を自分達らしく歌い上げ、だんだん距離が縮まっていい意味での慣れを感じたMC、どこをとっても可愛くて幸せな空間だった。


関西ジャニーズJr.は冬に開催されるユニット別コンサート以外だと、春と夏と年始はいつもみんなでコンサートや舞台をしていた。7WEST以外の関ジュは完全に違うグループの人たちとして見ていたので、たまに神山くんと絡むことがあれば、「お兄ちゃん組に可愛がられてる神山くんかわいい〜!」ぐらいにしか思わなかった。お兄ちゃん組のファンや本人が10人と頻りに話すことが辛かったし、悔しかった時期もあった。本人たちはどう思っていたのか分からないけれど、私はお兄ちゃん組それぞれのグループをライバルみたいな気持ちで見ていたので、そんな気持ちがあったのかもしれない。いつ誰がデビューという夢を掴むか分からない中で、"上から順に"なんて考え方ができなかった。関西ジャニーズJr.みんなが幸せになってほしいという気持ちはもちろんあったけれど、誰よりも神山くん、そして7WESTに報われて欲しかった。


気持ちが徐々に変わり始めたのが2012年。その前の年の2011年の秋から、関ジュは東京の日生劇場での舞台に選抜メンバーで出演していた。7WESTからは神山くんと重岡くんが選ばれた。私は7WESTの中でもこのコンビが特に大好きで、いつも一緒にコンサートに行く友達が重岡担だったので、2人が一緒に選ばれたことが素直に嬉しかった。2012年の春、滝沢歌舞伎にまた神山くんと重岡くんが選ばれた。そしてその後すぐに行われた東京での関ジュ初コンサートは、桐山さん、中間くん、濱ちゃん、神山くん、重岡くんの5人という括りで行われた。7WESTでいるときは1番先輩で、お兄ちゃん的なポジションでしっかりしていた神山くんが、末っ子ポジションになってみんなに可愛がられていた。そのふわっとしたマスコット的なポジションが、すごく神山くんに向いているなと感じた。あまり自分からMCに参加するタイプではないので、いつもMC中はマイクを下げて一歩引いてみんなの話を聞きながらニコニコしていた。その姿が可愛いなぁなんて思っていつも見ていたけど、声が聞きたいという気持ちももちろんあった。誰かが話を振ってくれたりエピソードトークをしない限りなかなか口を開いてくれることがなかったので、この4人が神山くんのエピソードをたくさん話してくれたのがすごく嬉しかった。公演自体も全体を通してすごくまとまりがあって、この5人でデビューもありえるんじゃないか?と思えたのがすごく印象に残っている。
その後、7WESTが4人になって、日生の舞台に出るメンバーが今のジャニーズWESTのメンバー7人になった時、「もう7WESTでデビューはないのかもしれない、変にグループにこだわっても辛いだけだから気にするのはやめよう」と思った。
その年の冬、ユニット別コンサートではなく、関西ジャニーズJr.合同のコンサートがあった。そこで関西ジャニーズJr.主演の映画の発表があった。7WESTでは神山くんだけが出演していなかった。その主題歌となるノットフィナーレという曲で、神山くんは出演するメンバーよりも後ろの位置で踊っていた。年始に東京で開催されるコンサートの案内のメールにも、神山くんの名前はなかった。この冬の公演中、舞台から落ちるアクシデントもあった。色んなことが重なって、不安が頭を駆け巡り、勝手に悪い方へ、悪い方へ、考えていた。神山くんさえデビューしてくれればもうそれでいいと願い続けた。神山くんがジャニーズを辞めずにいてくれれば、神山くんさえ報われれば、それだけを願った。


結論としては、年始のコンサートに神山くんは出演した。Jr.はいつ何があるか分からないので過度な心配をしていたが、私の考えすぎだった。春のコンサートにはちゃんと7WESTの4人として出番があった。このことが何よりもホッとした。色々あったけどちゃんと神山くんには居場所があって、これからも7WESTは活動していくんだと。このコンサートでは、昔もらったオリジナル曲を久々に歌ってくれたことが何よりも嬉しかった。冬に続いて神山くんが振り付けを考えてくれた曲があったり、去年の夏と打って変わって7WESTとしていい方向に行ってるんじゃないかと思った。
その後から始まった関西ジャニーズJr.としての初めての全国ツアーは、個人的に落選祭りでモチベーションの行き場を失い(笑)、全国ツアー中に初めて披露されたなにわ一等賞という曲の選抜に神山くんが選ばれず、その後の夏の舞台では役所がイマイチで、自分の神山くんに対する期待を事務所に折られて、不満だけがどんどん溜まっていった。あれだけちゃんと買っていた雑誌も何一つ買わなくなってしまった。だけど、不安をかき消すように7WESTはこの1年を通して4人としての7WESTをどんどん確立していて、やっぱり何人になっても7WESTが大好きなんだなと思った。先輩の曲も、その時々の今の7WESTにぴったりだと思う曲をやってくれるファンの期待と希望を体現してくれる7WESTが最高だった…本当に最高だった。


その年の冬のコンサートは、関ジュ全体、ソロ、選抜色んな組み合わせだった。案内のメールを見た時、自然と涙が出てきたことを覚えている。7WESTからは重岡くんと小瀧のソロ、他にはB.A.Dの2人と重岡くんと小瀧のユニット公演、神山くんは流星と濱ちゃんとのユニット公演だった。関西ジャニーズJr.は試されているんだと分かった。神山くんと流星と濱ちゃんがこの時期にSHARKというドラマに出ていたので、その3人括りになるのは仕方ないことなのかなと思ったけれど…ドラマ出演は喜ばしいことだけれど…もうダメなのかもしれないと、もしかしたらもう二度と7WESTが見れないんじゃないかと、考えれば考えるほど涙は止まらなかった。
神山くんと流星と濱ちゃんの公演は、多才な神山くんの魅力が散りばめられていて、“こんな神山くんが見たかった”がたくさん詰まっていた。重岡くんのソロ公演にも行ったが、重岡くんらしさ全開でファンのみんなもすごくあったかくて、お互いにお互いらしさが出ていた最高の公演だった。7WEST全員が揃う関ジュ全体のコンサートに行けなかった私は、年明けの城ホールでのコンサートが楽しみで仕方がなかった。


2014年元旦、カウントダウンコンサートにてジャニーズ WEST4のデビューが発表された。たまたま用事でリアルタイムで見れなかった私は、TwitterのTLを見て会場に神山くんがいないことを知り、多くの人が呟いた「え?」の文字を見ながら泣き崩れた。B.A.Dの2人と重岡くんと小瀧でのデビュー。ユニットコンサートが発表された時、こうなったらどうしようと考えてしまった望んでいないシナリオ通りになった。
年明けの城ホールでのコンサート、ファンの不安をかき消すように笑顔いっぱいで、いつもと変わらず、むしろいつも以上に全力でパフォーマンスをする神山くんがいた。本人が1番辛いはずなのに、おたくがこんなにメソメソしてごめんねと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
いつもの関ジュのコンサートとは全く雰囲気が違う、誰もデビューという言葉は一切出さない異様な空気だった。本当だったらお祝いムードになるはずなのに、素直におめでとうなんて言えるはずもなかった。MCやゲームコーナーで必要以上に7WESTの組み合わせでやらせようとしていて、普段なら嬉しいはずなのにまるでもうこれから見れないから見納めだと言われてるようで、幸せなのに地獄のような時間だった。4人のええじゃないかは立ち上がることさえ出来なかった。座ってただ天井を見上げていた。盛り上がってるファンも見たくないし、もちろん4人の姿なんて見たくないし聴きたくもない。どうしてこの4人はデビューできて、神山くんはデビューできないの?なんで重岡くんと神山くんを離したの?7WESTは4人一緒じゃダメなの?何度考えても納得のいかない状況を受け入れることはできなかった。そのあとすぐに、流星→神山くん→濱ちゃんの順でソロパフォーマンスだった。城ホールのセンターでバックにJr.を付けてShelterを踊る神山くんは本当に本当にかっこよかった。さっきまでの嫌なことすべて吹き飛ばしてくれるほど最高のパフォーマンスだった。もちろん流星も濱ちゃんも本当にかっこよかった。このコンサートでツインタワーの2人は昔歌ってたRun from youを歌っていて、あんなにぎこちなくて見てられないものはなかった。該当担じゃなくても本当に辛かったし、正直ひどいセトリだなと思った。コンサートの後半で7WESTがメインステージの上で横一列に揃った時、全員違う衣装を着ていたことが何よりも一番辛くて、胸が締め付けられるような思いだった。その中にはみんなで着ていた衣装もあって、運命って本当に残酷だなと思った。見るのは辛くても、今はとにかく4人の姿を目いっぱい脳裏に焼き付けようと思った。この2日間のことは今思い出しても泣きそうになる。忘れたくても忘れられない悪夢のような3公演だった。


全ての気力を失って生活をしていた中、2014年2月5日、ジャニーズWESTとして神山くん流星濱ちゃんを加えて7人でのデビューを舞台の初日に発表した。年明けのコンサートでこの舞台が決まったことをサラッと話していて、その後3人が追加で出ることも決まったので、もしかしたら…というファンの期待が現実になった。その舞台は本人たちとリンクする内容で、現実が全てシナリオ通りだったんじゃないか?と思ったけれど、兎にも角にも神山くんがデビューできること、神山くんと重岡くんが一緒にデビューできること、7WESTの4人が一緒にデビューできることが何よりも嬉しかった。


神山くんがデビューできることは本当に嬉しかった。神山くんを応援してから、デビューすることを常に考えていた。神山くんの夢の1つがデビューすることだったからである。2011年西日本ツアーのラスト公演での挨拶で、デビューする!と口に出してくれた時、この人を信じて付いて行こうと心に誓った。神山くんはいつでも有言実行して、ファンの幸せをかなえてくれるアイドルだった。たまにムカついたり、ファン辞めてやる!なんて思ったこともあったけれど、この頃にはもう神山くんを好きでいることが日常で、当たり前だった。
あんなに受け付けなかったええじゃないかはまるで別の曲を聴く感覚だったし、沢山CDも買った。イベントにも足を運んだ。ツアーにも行った。桐山さんとのW主演の舞台は会場が松竹座だったので、座長として挨拶をする姿を見て込み上げてくるものがあった。


でも、一度どん底まで落とされた気持ちを引き上げるのは難しかった。
どうしても最初は後から加入した組が立ち位置的に後ろになったり、もらえるソロパートは2番だったり、納得いかないことが沢山あった。何よりお兄ちゃん組と一緒に活動していることに違和感があった。変わっていく関係性や呼び方も何か嫌だった。私の中ではいつまでもお兄ちゃん組の3人は別のグループの人たちで、なかなか受け入れることができなかった。3人のことはむしろ大好きだけど、それは7WESTと切り離した感情だった。きっと逆の立場で同じ気持ちの人も沢山いたんじゃないかと思う。
またそれとは別に、少しずつグループに来る仕事の対象が、神山くんじゃなかった時はすごく悔しかった。神山くんの方が歌上手いのに、演技上手いのに、そんなことばかり考えていた。そんな自分が嫌だった。大好きな神山くんがいるグループを好きになれない自分が嫌で、ジャニーズWESTのコンサートに行くのが辛くなってしまった。

そう思ったのが2016年の3月、ちょうど3度目のジャニーズWESTのツアーの時だった。神山くんと重岡くんが、ジャニーズWESTのコンサートで2人のユニット曲を歌ってくれた。夢を見ているみたいだった。ジャニーズWESTは関西色強めの賑やかな曲が多いけれど、7WESTは王道アイドルソングだったり、爽やかな曲を歌うことが多かった。2人のユニット曲である“Lovely X'mas”は、7WESTみたいな爽やかで可愛い曲で、2人にぴったりだった。こんな時間がずっと続けばいいのにと思った。
10月、神山くんが劇団☆新感線の舞台に出演した。私のJr.情報局名義を使った最後の現場だった。どんなにグループを受け入れられなくても神山くんは大好きだと実感した。自分の想像以上のスキルと才能を持ち合わせているのが神山くん。神山くんはこういう人だからと自分の中で理解していても、見に行くたびにまだまだ知らない神山くんがいっぱいいて、常にアップデートするパフォーマンスを持っている。それを見に行くのが幸せで、現場に行くのは辛いけど神山くんは見たいと矛盾した考えで、ずっと1人の仕事だったらいいのに、なんて思ってしまった。


12月25日、友達に誘われて初の京セラドーム公演に入った。3月の大阪城ホール公演以来のジャニーズWESTのコンサートだった。この公演を見逃していたらきっとこの先もずっと後悔したと思うので、誘ってくれた友達にはとても感謝している。ドームで単独公演をできることが本当に感慨深くて、1曲目のええじゃないかを聞いた時思わず涙が溢れた。ちょうどメインステージ正面のバックステージ付近だったので全体を見渡すことができ、客席の光景にも感動した。そして、この公演でJr.時代の曲を歌ってくれた。7WESTは結成して初めてもらったオリジナル曲である、Dial upを歌った。私がこの世で1番好きな曲で、1番生で見た曲でもある。Jr.時代に着ていた衣装のジャケットを着て、バクステに4人がぎゅっと集まってDial upを歌った時、あぁ私は7WESTが大好きなんだと改めて実感した。あの年明けのコンサートで見れなかった、見たかった光景がそこにあった。そして、私はこの時ジャニーズWESTのコンサートに行くことをやめようと思った。本当に楽しくて感動したコンサートだった。でも、その7人についていけないのが申し訳なくて、この日を境にジャニーズWESTのコンサートには行かなくなった。


2018年9月、神山くんが外部の舞台に出演することになった。神山くんを見るのは1年9ヶ月ぶりだった。手紙も書く内容がないはずなのに書き出したら止まらなくて、この感覚いつ振りだろうと懐かしくなった。舞台は、私こんなすごい人のファンだったっけ…?とあっけに取られるぐらいさらに成長した演技力だった。すぐに別の日の当日券を増やしたほどだった。
京セラでのコンサート以降、コンサートに行かなくなってもどこかでずっと神山くんを気にしていて、今はなにしてるんだろう?次の仕事は何があるのかな?と神山くんの存在が頭から消えることはなかった。ずっとJr.時代を懐古してはこの時に戻りたいと思って悲しくなって、ただコンサートでキラキラしている神山くんがみたいだけなのにと複雑な気持ちだった。


神山くんが作詞作曲をしたEvokeという曲が世に放たれたと知った時は、またこの人は有言実行してるんだと感動した。神山くんが作る曲ってどんな曲なんだろうとワクワクしながら初めて聴いた時、衝撃を受けた。ただ見た目が好きっていうだけで興味を持った人が、まさか何年か越しでこんなに自分好みの曲を作る人だと知るなんて思わなかったし、想像よりも遥かに幸せな未来だった。神山くんを改めて好きになった。


またいつかその時がきたら、と思いながら過ごしていた2019年夏、神山くんが関西ジャニーズJr.に提供した曲、Game of Loveを観た。Evoke以上の衝撃だった。その映像にはもちろん神山くんはいないのに、寝ても覚めても何回も何回も繰り返し見た。何回聞いてもイントロから大好きで、神山くんが考えた振り付けも大好きで、目からも耳からも幸せだった。


そこから、今の神山くんの活動が今まで以上に気になった。タイミングよく、「ジャニーズ WESTの出世する人しない人」という特番があった。昔私がジャニーズWESTに勝手に感じていた違和感とかが全くなくて、一緒に見ていたお母さんも「いいグループだね」というほどだった。今のジャニーズWESTは昔の4人と後から加わった3人という印象も、7WESTの4人とお兄ちゃん3人という印象も全くなく、7人が横一列で本当に仲良く活動してるのが伝わってきた。他にも色々見ていく中で1番それを強く感じたのが「パパジャニWEST」だった。それぞれの個性がちゃんと生きていて、それをメンバーがしっかり理解していて上手く役割分担がされている。でも何かふざける時はみんなでふざける、誰と誰が2人きりになっても違和感がない、同じものを見て同じテンションでみんなが笑う。そんな姿をいっぱい見て、例えTV番組とはいえ、私が知らない間にジャニーズWESTはこんなに素敵なグループになったんだなと胸がいっぱいになった。そして、神山くんはジャニーズWESTのことをすごく大切に思っていて、本当に大好きなんだなというのが伝わってきた。そのことが何より私の心を揺さぶった。言わなくても感じ取れるほどだけれど、それをちゃんと口に出すことが神山くんの素敵なところだと改めて思った。離れていた3年間のことを後悔するよりも、むしろ少し離れてたからこそ良さに気づけたのかなと嬉しくなった。ただ年数を重ねたからメンバーが仲良くなったとか、そんな簡単なことではないと思う。
ここ最近色んなグループが解散脱退休養などメンバーが欠けてしまうことが多く、その度グループみんなで活動できることの難しさや尊さを思い知った。ジャニーズWESTが7人楽しく活動しているのが奇跡とさえ思えるし、今のジャニーズWESTからは明るい未来しか見えなかった。


もう今すぐにでもジャニーズ WESTのコンサートに行きたい!と、ただただツアーの発表を待っていた。


そんな時、東京ドーム公演開催決定の発表があった。結成6年目にしてやっと掴んだ1つの夢。私がずっと憧れていた東京ドームという場所。いつか絶対神山くんがCDデビューをして連れていってくれると信じていた場所であり、その時まで足を踏み入れないでおこうと誓った場所だった。やっとその日が来たんだと、迷うことなくファンクラブに入った。ドームに来るまでの過程を、ずっと応援できなくて、支えてあげられなくて、一緒に歩んでこれなくて申し訳ない気持ちになったけれど、ファンの長年の夢を叶えてくれてありがとうという気持ちの方がとてつもなく大きかった。本当にありがとう。そしておめでとう。


回り回ってまた神山くんに戻ってきて、離れた時間で神山くんが変わっていたらどうしようと思ったけれど、神山くんはいい意味で変わらず変わっていて、前よりもずっとずっと魅力的な人になっていた。そして、そんな神山くんが好きなグループだから、そんな神山くんを好きなグループだから、ジャニーズWESTを好きになった。


私はジャニーズWEST神山智洋としての活躍を見続けたい、そして応援していきたい。